【第2回目】認知行動療法(CBT)カウンセリングを受けてみたよ!
こんにちは、たか2251です。
先週の水曜日(8月2日)にCBTカウンセリングを受けてきました。
前回迄の様子をまとめた記事はこちらになります。
上の記事では、一度に4~6回のカウンセリング内容をまとめてしまっていますが、今回からは毎週やっていった所感について書けたらと思います。
今週のカウンセリング内容、CBTの側面はほとんどなし?
各クライアントに対するセラピストにも、「合っている」「合っていない」があるように、カウンセリング内容にも同様のことがいえると思います。
特に私は今までCBTを受けてきた中で、来談者中心療法のほうが明らかに合っているな…ということが自身でもわかっていました。
そんな中での今回のカウンセリングですが、CBTの内容がほとんどありませんでした。
先生のほうでカウンセリング内容を切り替えたようで、やっている内容はまさに来談者中心療法そのものでした。
そしてその一端にCBTの側面が残るという形になりました。
では、どうしてそのようになったのかですが、
やはり前回のCBTによる「選択的注意」(「注意の選択(持続)」「注意の転換」「注意の分割」)の訓練に対する感想を書いたときに、ネガティブなものが多く挙げられていたことが要因になったようです。
それらを見て先生が判断してくれたのか、カウンセリングの中でのCBTの要素はほぼなくなりました。
ところでおさらい!来談者中心療法ってどんなもの??
こちらが本来のカウンセリングと呼ばれるものかと思います。
私の考えですと、基本的にクライアントは先生の「人間性」を信じることが大切になります。
この先生とならやっていける!と思った際に初めてうまくいくような感じでしょうか。
私は多分に悩みを抱えやすいので、どんどん話が出てきますが、それに対してひとつひとつ先生が整理して処理をしてくれる感じです。
時には迷ったことに対して方向性を示してくれることもあるでしょう(例:(私)フットサルの選抜練習に出たいけどきついから迷っている⇒(先生)やってみたらどうかな?、など)。
ですが、私にはこの感覚が心地いいのです。
自身で迷っていることがあり踏ん切りがつかないことがたくさんあるから私は不安なのであって、その不安を取り除くためには訓練をすることでは不可能だと思っています。
むしろ先生との会話の中で、自身の迷いが晴れたり、自身の本来持っている意見を強化してもらったりできるものだと思っています。
その意味で私にとって来談者中心療法が大切なものだと感じているのです。
わずかに残るCBTの痕跡
かといって「選択的注意」に関するものが全くなくなったわけではありません。
こちらは努力義務となりましたが、私が少しでもやっておきたいということを意思表示したため、先生もぜひ続けてやってみてください、とおっしゃっていました。
CBTの効果のあるところは、ただ単に先生から与えられる訓練をこなして、それについて効果を伝えるだけではないのかなと思っています。
その次にFB(フィードバック)をもらう時間があると思いますが、そこでクライアントの気持ちが強化されることも目的の一つだと考えられます。
すなわち、来談者中心療法とは何もないところから対話のみで物事を解決させる方法、と考えられますが、
認知行動療法(CBT)とはセラピストとクライアントが同じ目標を持ってそれに向かって努力し、一緒に何か(目的)を成し遂げていく、ことにあるのかなと思いました。
今回でいうと先生から出された「選択的注意」の課題を遂行することが目標で、クライアントはそれに向かって努力し、状態をよくしていくという目的があると考えられます。
出典:写真AC
まとめ
今回のカウンセリングの内容の変化は、私にとっては予想外のものでした。
先生がCBT以外のカウンセリングをやってくれるとは思いませんでしたし、むしろ前の先生のようにCBTをもっと推してくるかなと思っていましたが、
それはこれまでの先生と私との信頼関係がある程度成り立っていたのでしょうか、先生はすんなりカウンセリング内容を変えてくれました。
かといって、先生が公式に、来談者中心療法に変えますよ、と言ってくれたわけではないので、また次回に新たな方法を提示されるかもしれません。
しかしながら一つ変化があったこととして、
「何かあったら何でもいいから書いてきて」と用紙を渡されて、自身がネガティブな気持ちなどを感じたときに、具体的に気持ちを自由に書けるように配慮してくれたことです。
この変化が私には嬉しく感じ、今後のカウンセリングのプラスの可能性を感じさせてくれることとなりました。
「人は、他人との心からの対話によって癒される」を体現していきたいです。